REPORT活動報告

西福寺で実施すること、実施したことを随時掲載しています。是非御覧ください。

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2019年度秋季永代経のご報告

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2019年9月28日(土)に秋季永代経法要が勤まりました。

ご法話は愛西市専随寺の石原和久さんでした。

 

以下、法話の内容
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時代が変わって変わりゆくこと。時代が変わっても変わらないこと。デジタルじゃないアナログの話です。だって私たちが生きる娑婆世界の話は全方位が良いかと言えばそうはならないって知っているでしょう。こっちが立てばあっちが立たず、あっちが立てばこっちが立たず。時代が変わって変わりゆくことと、時代が変わっても変わらないことをしっかりと分けて考えていかなければならないのです。

親鸞聖人があきらかにされたのは「生死出ずべき道」です。これまで生きてきた中でいろんな考えや理論があったかと思いますけれども、じゃあ毎日その日暮らしの生活をしているのは、究極的に突き詰めて言えば、最後は生きるか死ぬかでしょう。それ以上に何か特別なものがあるかって言ったらどうですか。

私たちの人生って、本当に何が良くて何が良くないのかって言っても実際はわかんないじゃないですか。お金がたくさんあれば幸せになれると本当に思っていますか。どう?やっかみ言いますが、隣近所探してどこかにお金持ちの方が住んでいて、その家の人ってみんな幸せ一杯の人ばっかりですか?お金がたくさんある家の前を通ったら、その家からは家族みんなの笑い声しか聞こえてこないなんてことあります?人間って自分が持っていないものが欲しいわけです。それでそれを手に入れたらいいかって言ったらどうですか?人生間違いなく幸せになれるって思っていますか?私が言いたいのは心の金持ちになってほしいのです。心の金持ちってどういう人かって言えば、南無阿弥陀仏をいただくことができる、そういう日暮らしをしていただけませんかってことです。

みなさん、今日はせっかくここまで来たのだから、仏教の教えを聞いて悟りの一つでも持って帰りたいと思っているでしょう。歎異抄には「いずれの行もおよびがたき身なれば」と、御文には「仏法を主とし、世間を客人とせよ」と書いてある。よくいらっしゃるのが、せっかく仏法聞いたし、お念仏の教えを普段の生活に活かして生きていこうって言っている。違うのです。普段の生活にお念仏の教えを活かすのではない。言葉が逆さま。お念仏の教えの中に私たちの生活を活かすの。お念仏の教えの中に私たちの生活を活かすってどういうことかって言えば、「人生は厳しいことばっかりだ」ってこと。

お念仏いただいていない人は、「年なんてとるもんじゃないわな」って言うのです。でも年はとるものじゃない、重ねるものです。私たちの欲望を充足させるものなんて娑婆世界にはいくらでもあります。でも、それでは間に合わないことが人生にはあるのでしょう。浄土真宗って「浄土の真(まこと)を宗とする」ってことです。どうやったら儲かるかとか、どうしたら損をするのかとか、そんなことを親鸞聖人は一言も言っていません。私たちの人生の本当(まこと)のことを言っているの。本当のことって怖いよね。年を重ねるってことは、今まで何気なくできていたことが一つ一つ断念せざるを得なくなるってことでしょう。でも裏を返せばそこまでいのちがあったってことです。ようやくその年まで来たのだなっていただける。お念仏の教えをいただいて生きるってことは、私たちの人生のすべての事柄の見え方が変わるってことです。お念仏をいただいてようやく私のいのちの深さが見えてくるのです。

(文責:住職)